「ふる」
プロフィールを書くのは、本当に難しいですね。
実は、プロフィールを何度も書き直しており、今の文章には、結局どんなプロフィールが良いのか分からず行き着いてます。
正直、言うと
- 苦労したと思っていても、実は苦労しておらず
- 凄い経歴かと言うと、そうでもなくて
- 凄いことをしてきたかと言うと、凄いこともしておらず
- さらには、ムカつく奴を思い出してイライラする
プロフィールと言いながら、過去を遡るとムカつく奴しか出てこないので、ソイツへの当てつけみたいな文章になるのがよくあります。
そして「なにを個性として主張すべきなのか?」が分からないまま文章として仕上がります。
そういうのは避けたいと思って本文を書きました。
運営者情報 ※権威性の表明
お前は誰やねん?ということで権威性を兼ねて書いてます。
僕を一言で言えば「矛盾だらけの人間」です。
その生き方に「一貫性」がないからです。なので、物事それ自体に「一貫性」を求められるとたちまち破綻します。具体的には、僕は何かをコツコツやるのが好きですが、一つのことを極めたことがありません。もう破綻です。
そして、専門性は広範囲に渡ります。
- IT専門職
- AppStore審査合格(自分で開発したアプリ)
- 宅建士、競売不動産取扱主任者
- 行政書士
- アスリート
経歴にしても、理系研究開発職、文系法務職など、それに「一貫性」はありません。でありながら、プールでは2hで4km泳いで、懸垂を20回以上こなすアスリートです。
こんな人間に「一貫性」は不要です。
一貫性がなくて、矛盾だらけなのが「僕」だと。
いや、それが人の人生だと。一貫性ある人間なんかいません。その事実に関わらず、不存在の一貫性を死に物狂いで求めたがる人がいるわけです。
権威性を証する書面
僕の専門の軸は「IT」です。
実績は下記です。
- ゲームのCPUをプログラミング
- 研究開発で米国一位の大学に通信ソフトを納品
- iPhoneアプリ開発
法務職として、主要な投資ファンドと数百もの取引、契約書を締結してました。
行政書士合格証準備中
「ふる」の経歴
- 大阪に生まれる
- 家賃4万円の2K文化住宅で家族5人の極貧生活。
- 家賃4万円の2K文化住宅で家族5人の極貧生活。
- 幼少期
- 家の裏にある畑と川でひたすら遊びまくる。
- 家の裏にある畑と川でひたすら遊びまくる。
- 小学校
- 小中バスケにのめり込む。
- バスケにした理由は「安く済む」から。
- 中学校
- 中学校3年生2学期から勉強の楽しさに気づいて猛勉強する。
- 偏差値42の高校に奇跡的に合格する。
- 高校
- 一年から三年の2学期くらいまでひたすらバイト漬けの日々。
- 高校で経験したバイトは、チラシ配り、引越し、掃除、寿司屋。
- 大学時代は、イタリア料理、コンビニ、塾講師、家庭教師。
- 浪人
- 偏差値42の高校で何をトチ狂ったのか理数系で大学を目指す。
- しかも、貧乏で予備校にも行けず宅浪になる。
- 大学・大学院
- 一浪で大学に合格する。
- ITを専攻する。
- 大企業
- 大手メーカーで研究開発職に従事する。
- 宅建士、行政書士などを取得する。
- 慶應院卒で無職になる。
- 今は「とある会社でCTO」をしています。
正直、誰でもできることばかり。
僕の経歴、人生を振り返って思うのは、何かやってるようで、結局、何もやってないことです。
やっていることは、他人がやるそれと「大差ない」ことばかりでしたし。出した結果にしても「大差ない」ものばかりでした。
振り返ると、さっさと自分の人生を必死にやってりゃあ良かったと思うことばかりです。
結局、昔も今も同じ「僕」でしかない。
僕を知っている人がいれば、それが今の「僕」です。
僕は何も変わらない「あの時のまんまのお前だ」と言われます。
中学校、高校、大学、会社とさまざまな環境でやってきましたが、結局、昔から1ミリも変わらない「僕」です。だから、結局、僕はいつまで経っても「僕」でしかないということです。
最初から、ずっとある気持ちは
- ごちゃごちゃ言われると鬱陶しくて仕方がない
- 他人の話しに興味ない
- 面倒くさいことはしない
頭に来ると「甲南大卒とか知らん低偏差値にごちゃごちゃ言われる筋合いはない」とか「宅建士すら取れない頭でよく物が言えるな」とか言ったりします。
こんな偏った事を言いながら、僕には「変な奴」を排除して寄せ付けない天性の才能があります。
まぁ、それもそのはずです。
僕の第一印象は「扱いづらい」が一番に来るはずですから。僕と話したがる人はいません。おかげで、時間が無駄にならずに良いです。
僕には「おかしな奴を排除する自浄作用」が、常に働いています。
つまり、おかしな奴は勝手に排除されて、僕の周りには良心的な人間だけが残る仕組みになっています。
例えば
- 安易な人
- 人格が良くない人
- モラルに欠ける人
- パワハラ気質の人
- お金、異性にだらしない人
上のような人間は、僕の周りにいません。
正確には気づけばいなくなります。勝手に去っていくので、思い出、記憶に残りません。まぁ、当然、僕が人間的に嫌いな奴を問答無用で排除したりもします。
じゃあ「僕」は人に何をしてきたか?
リアルで僕と関わったことがある人が持つ印象そのものでしかなくて「何もしない」わけです。
- 人にごちゃごちゃ言う気がない
- 人に何かをさせる気もない
- 嫌なことをさせたくないし
- 本人が好き勝手やれば良い
- 何なら幸せになってもらいたい
こう考えるのが僕です。
そして、この価値観に合わない人は、結局、疎遠になります。
いや、何が言いたいか?
結局、僕は、人が言うような「僕」です。
そして、誰がなんと言おうが「僕」はこれで上手く機能しています。だから「僕は変わらない」ということです。みんなが知ってる「僕」であり続けたいわけです。